ミルズがジャマイカ代表コーチを辞任
最新の秘伝誌によると、ボルトがゆるむ行動をすることを、このコーチが教えていたかもしれないらしい。
どっかの国で様々なことが行われている。
ゾクゾクする。「あっ!」と驚くようなことが生きている間はずーっと出てくるんだろからねー
2009年11月14日
2009年11月13日
2009年11月12日
身体意識をトレーニングに活かす方法
身体意識とは「体性感覚的意識」の略。
人間の感覚には「体性感覚」というものがある。これを元にした意識が「身体意識」。
これは身体意識の超超入門の話。
2つの練習形態
筋紡錘などの感覚器から、得られるのは「体性感覚」です。
筋肉が伸びていたり、縮んでいたりするのを感じられるのは「感覚」という言葉で表されます。感覚とは学術的に言うと一時的なものですから、「顕在意識」ということになります。
以前までは「走っている時、こうこうこーいう感覚で」などと表していました。しかし顕在意識=身体感覚です。無心で走ったとき(潜在意識に埋め込まれたもので走ったとき)には、「〜感覚」という表現ではなく厳密に言えば「〜という身体意識で走った」という表現を用いなければなりません。
つまり身につける練習(一般的に技術練習と呼ばれているもの)は
顕在意識(身体感覚)を潜在意識化させようとしている練習
ということになります。
走りこみとは、潜在意識化の中で繰り返す反復です。技術に大した向上はありません。
しかし無駄ではありません。走りこみなどによって筋肉がつくとします。筋肉がついたという感覚を元にして、それが身体意識化されれば、もちろん競技には活きてきます。
一般的に「本練習」といって、練習の中でも大幅な時間を使うのが、この「(陸上でいうと)走りこみ系」の練習です。
何も考えなくても速くなるのは、知らず知らずの内に、たまたま何かのキッカケで見つかった身体にとってプラスの顕在意識が潜在意識化されたことにより起こります。
この原理を練習に上手く組み込めるのが良い指導者です。
ミニハードルなどを道具を用いながら、です。
身体意識の変化について
身体意識は感覚器を元にしているのだから、走っているときの区間(スタート・加速期・定常期・減速期)によって身体意識は変わっていきます。
これらが運動性と呼ばれるものじゃないかなと思います。
※身体意識には、それぞれにストラクチャ・モビリティ・クオリティ(形状・運動性・質感といった感じ)があります。
身体意識は細かく分けると500種類以上、というのを見ました。
そのそれぞれにストラクチャ・モビリティ・クオリティがあるということが、センターが発達していても、足が速いわけではないということに関係していると思います。
上達
上達とはパフォーマンスの向上です。
つまり上達するには、自分がしたいパフォーマンスの身体意識を、ストラクチャ・モビリティ・クオリティなどを考えながら、鍛える必要があると思います。
補強で腹筋動作をたくさんやったとします。腹筋はつきました。しかし意識が通らないと筋肉は使えません。走っているときに、腹筋に意識が通らないと活かされません。
さらに腹筋動作で潜在化された、その身体意識自体がプラスではなく、マイナスの場合も多々あります。
つまり筋力トレーニングだけをとっても
・いらない筋肉がついた。いらない意識もついた。
・筋肉ついた。意識がつかない。
→上達しない。という2つの失敗があります。
成功例では
・筋肉は変わらない。しかし意識がついた。
・筋肉ついた。意識もついた。
というパターンです。
身体意識をトレーニングに活かす方法
まとめますと……
(1)徹底的に無駄なトレーニングを排除する
→(意識の通っていない使えない)無駄な筋肉がつかない。
(2)競技動作・またそれに近い動作を、身体意識を鍛えながら行う
→競技によって同じ身体意識でも運動性等が違うため、この方法を行う。
例:軸タンブリングでセンターを伸ばしたら、その感覚を保ったまま走るトレーニングをして、潜在意識化する。
(2つの練習形態を挙げましたが、技術練習でも本練習でも、そのどちらでも身体意識を鍛える、という方法です。)意識を鍛えることを忘れると、上達しません。
しかし身体意識は骨格・体格を超えるものではない、と言います。
意識が通らなくても、骨格・体格が変われば、上達する可能性はあります。
ただ間違っても拘束的な意識を育ててはいけません。
以前までの方法は身体意識を鍛えると言う点が抜けていたため、使えない筋肉をつけるトレーニングや無駄にしんどいだけのトレーニングなどが横行していたのです。
人に伝えるためには言語化しないといけないので、その条件の中で、500種類(を言語化できている)というのは物凄いこと。
学問が発達して、「感覚」と「意識」という明確な定義が出来たのにも関わらず、現場ではこれが適応されていないという感じなのだと思う。あと数十年経てば「感覚」と「意識」という言葉が大きく見直されるかも
「何なんやろうこの感覚は」
ではなく
「何なんやろう、この意識は」
という会話が日常に組み込まれるかもしれません。
僕らが生きている間にくるだろうか。
「どうやったらこの感覚を伝えられるのだろう」という疑問は、誰しも経験すること。痛いという感覚は皆が日常で使っているので、共有することができています。
10人中、2人は体験しており、その2人が残りの8人にその体験を説明する場面。言葉で説明しなければいけないときに、名称がいるわけで、それが身体意識なのだと思う。
多分、現代の特徴は「どうやったらこの感覚を伝えられるのだろう」という傾向。共有ができていない状態。機械等に頼りすぎて、感覚が鈍くなったために起こった。
身体意識という概念は……どうだろう。僕は物凄く広まっていくと思うが……まだまだ一般には出て行かないんだろうなぁ
傾倒しすぎ?
自分が正しいと思うことには傾倒しよう。
数十年単位で見たとき、言語の世界では正しいものが生き残る。
人間の感覚には「体性感覚」というものがある。これを元にした意識が「身体意識」。
これは身体意識の超超入門の話。
2つの練習形態
筋紡錘などの感覚器から、得られるのは「体性感覚」です。
筋肉が伸びていたり、縮んでいたりするのを感じられるのは「感覚」という言葉で表されます。感覚とは学術的に言うと一時的なものですから、「顕在意識」ということになります。
以前までは「走っている時、こうこうこーいう感覚で」などと表していました。しかし顕在意識=身体感覚です。無心で走ったとき(潜在意識に埋め込まれたもので走ったとき)には、「〜感覚」という表現ではなく厳密に言えば「〜という身体意識で走った」という表現を用いなければなりません。
つまり身につける練習(一般的に技術練習と呼ばれているもの)は
顕在意識(身体感覚)を潜在意識化させようとしている練習
ということになります。
走りこみとは、潜在意識化の中で繰り返す反復です。技術に大した向上はありません。
しかし無駄ではありません。走りこみなどによって筋肉がつくとします。筋肉がついたという感覚を元にして、それが身体意識化されれば、もちろん競技には活きてきます。
一般的に「本練習」といって、練習の中でも大幅な時間を使うのが、この「(陸上でいうと)走りこみ系」の練習です。
何も考えなくても速くなるのは、知らず知らずの内に、たまたま何かのキッカケで見つかった身体にとってプラスの顕在意識が潜在意識化されたことにより起こります。
この原理を練習に上手く組み込めるのが良い指導者です。
ミニハードルなどを道具を用いながら、です。
身体意識の変化について
身体意識は感覚器を元にしているのだから、走っているときの区間(スタート・加速期・定常期・減速期)によって身体意識は変わっていきます。
これらが運動性と呼ばれるものじゃないかなと思います。
※身体意識には、それぞれにストラクチャ・モビリティ・クオリティ(形状・運動性・質感といった感じ)があります。
身体意識は細かく分けると500種類以上、というのを見ました。
そのそれぞれにストラクチャ・モビリティ・クオリティがあるということが、センターが発達していても、足が速いわけではないということに関係していると思います。
上達
上達とはパフォーマンスの向上です。
つまり上達するには、自分がしたいパフォーマンスの身体意識を、ストラクチャ・モビリティ・クオリティなどを考えながら、鍛える必要があると思います。
補強で腹筋動作をたくさんやったとします。腹筋はつきました。しかし意識が通らないと筋肉は使えません。走っているときに、腹筋に意識が通らないと活かされません。
さらに腹筋動作で潜在化された、その身体意識自体がプラスではなく、マイナスの場合も多々あります。
つまり筋力トレーニングだけをとっても
・いらない筋肉がついた。いらない意識もついた。
・筋肉ついた。意識がつかない。
→上達しない。という2つの失敗があります。
成功例では
・筋肉は変わらない。しかし意識がついた。
・筋肉ついた。意識もついた。
というパターンです。
身体意識をトレーニングに活かす方法
まとめますと……
(1)徹底的に無駄なトレーニングを排除する
→(意識の通っていない使えない)無駄な筋肉がつかない。
(2)競技動作・またそれに近い動作を、身体意識を鍛えながら行う
→競技によって同じ身体意識でも運動性等が違うため、この方法を行う。
例:軸タンブリングでセンターを伸ばしたら、その感覚を保ったまま走るトレーニングをして、潜在意識化する。
(2つの練習形態を挙げましたが、技術練習でも本練習でも、そのどちらでも身体意識を鍛える、という方法です。)意識を鍛えることを忘れると、上達しません。
しかし身体意識は骨格・体格を超えるものではない、と言います。
意識が通らなくても、骨格・体格が変われば、上達する可能性はあります。
ただ間違っても拘束的な意識を育ててはいけません。
以前までの方法は身体意識を鍛えると言う点が抜けていたため、使えない筋肉をつけるトレーニングや無駄にしんどいだけのトレーニングなどが横行していたのです。
人に伝えるためには言語化しないといけないので、その条件の中で、500種類(を言語化できている)というのは物凄いこと。
学問が発達して、「感覚」と「意識」という明確な定義が出来たのにも関わらず、現場ではこれが適応されていないという感じなのだと思う。あと数十年経てば「感覚」と「意識」という言葉が大きく見直されるかも
「何なんやろうこの感覚は」
ではなく
「何なんやろう、この意識は」
という会話が日常に組み込まれるかもしれません。
僕らが生きている間にくるだろうか。
「どうやったらこの感覚を伝えられるのだろう」という疑問は、誰しも経験すること。痛いという感覚は皆が日常で使っているので、共有することができています。
10人中、2人は体験しており、その2人が残りの8人にその体験を説明する場面。言葉で説明しなければいけないときに、名称がいるわけで、それが身体意識なのだと思う。
多分、現代の特徴は「どうやったらこの感覚を伝えられるのだろう」という傾向。共有ができていない状態。機械等に頼りすぎて、感覚が鈍くなったために起こった。
身体意識という概念は……どうだろう。僕は物凄く広まっていくと思うが……まだまだ一般には出て行かないんだろうなぁ
傾倒しすぎ?
自分が正しいと思うことには傾倒しよう。
数十年単位で見たとき、言語の世界では正しいものが生き残る。